自力で着替えられなくても軽作業「可能」~労基署のずさんな調査~

京都上労働基準監督署

右上腕骨折の重傷

4月末に髙村由江さん(仮名)は出勤途中、混雑した駅で向かいから来た人を避けようとして転倒してしまった。右半身を前にして避けた姿勢のまま、手を突くことも出来ずに、右肩から倒れて腕を床にひどく打ち付けた。すぐに起き上がろうとしたが、激しい痛みに襲われて動くことができず、駅員が救急車を呼ぶ事態となった。

病院に運ばれ、右上腕骨近位端骨折の重傷ということがわかった。

そのまま入院し、翌日、プレートを入れて骨折部を接合する手術(観血的接合術)を受けた。治療費については、通勤災害として療養給付請求を行い、労災保険の適用を受けた。休業給付も労災に請求して認められ、療養を続けていた12月、問題が起こった。

髙村さんは、老人ホームで看護師と介護職を兼務して働いていた。10月に主治医は、介護職という重労働はまだできないと、12月末まで自宅安静が必要との診断書を出し、髙村さんは職場へ提出、自宅療養を続けていた。

10月分の休業給付請求書を労働基準監督署に提出してしばらくして、労働基準監督署から10月分の休業給付について、支給されないかもしれない、との連絡があった。髙村さんは非常に驚いたが、休業給付が支給されなくなれば働くしかないと職場に連絡した。まだまだ介護ができる状態ではなかったが、なんとか軽い仕事をさせてもらうということで、12月半ばより働き始めた。

働き始めて間もなく、10月分の休業給付の決定通知が届いた。決定理由に「令和5年10月1日以降は『療養のため労働することができなかった期間』として認められないため、就労機会が奪われる通院受診日5日のみ支給します。」と記載されていた。

本人聴取なしの決定

髙村さんは出勤してみたものの、比較的軽作業と思われた仕事も、実際に行ってみると肩への負担が大きく、痛みを我慢しながら働くことになった。例えば、浴室の掃除では浴槽をこする動作を繰り返し継続するのは難しく、介助椅子を動かすのも苦労した。配膳でも、お盆に料理を盛った陶器の食器をのせるとかなりの重さがあり、保持するのも一苦労、またお盆を棚に戻すために肩の高さまで持ち上げるのも、肩に負担がかかった。

痛み止めを飲んだりシップを貼って痛みに耐えながら、1日出勤しては2日休むといったペースで、なんとか働いた。

しかし、こんな状態で無理して働かなければならないことに、髙村さんは納得がいかなかった。あちこちに相談をして、当センターにたどり着いた。

話を聞く限りとても就労可能な状態と思えず、すぐに管轄の京都上労働基準監督署を髙村さんと訪問した。

担当の若い職員は、髙村さんの10月はとても働けるような状態ではなかったという説明に対して、元の業務ができなくても軽作業ができれば休業給付は支給されない、法律通りの処分なので問題がない、主治医が労働基準監督署からの照会に対して、軽作業が可能との意見書を出しているとし、頑なな対応だった。

こちらの主張としては、実際の髙村さんの状態は、自分の着替えも手伝ってもらわなければいけない状態で「軽作業」もあまりできなかったため、「軽作業可能」は実際に即していない判断であるので、自庁取り消しするべきだと話した。

担当者は、判断にあたって電話で本人に簡単な質問をしたくらいで、面談での聴取を行っていなかったことも問題だった。主治医の意見書についても、主治医が実際の業務をわかって意見を書くとは限らず、労災保険の制度についてもよく知らない場合も多い。それを、被災者が不利益を被らないように、業務内容を調査し実態に即して調整して判断するのが、労働基準監督署の役割ではないのかという話をした。
また請求した日付が11月後半と遅かったとはいえ、10月分の決定が12月に来ているので、10月11月の2カ月が休業補償は支給されず、就労もしていないので何も収入がない状態になってしまうのも問題だった。

労災の休業給付を打ち切る場合、調査に時間がかかったとしても、遡って打ち切りとすればこのように何も収入がない期間ができてしまうので、最短でも次の月までは支給するなどと余裕をもって日付を設定し、その間に職場復帰の体制などを整えてもらうようにするべきと考える。

これら問題点をあげても、担当者は態度を変えずらちが明かないので、労災課長も呼んで、自庁取り消しするべきと再度主張した。課長は髙村さんの現状を聞いて、軽作業が可能とは思えなかったようで、最終的に、11月分の休業給付請求書を提出すればそれを調査し、要休業との判断が出れば10月分の処分も取り消す、ということになった。

果たして「軽作業」とは?

労働基準監督署を出て、その足で病院へ向かった。

11月分の調査を再度行うことになったので、主治医に髙村さんの現状を理解してもらい、労働基準監督署からの意見書依頼に適切に回答してもらう必要がある。

医事課の課長に事情を説明し、主治医との面談の設定を依頼した。そして2日後、主治医と面談することができた。そこで主治医から語られた話に、驚くこととなった。

まず、主治医は髙村さんの業務について医療従事者として理解できるので、今の腕の状態では介護職で働くことができないと判断し、12月末まで自宅療養との診断書を書いたということだった。その上で、労働基準監督署からは詳細な質問が送られてきており、できる動作については、正直に「可能」と答えた。しかし、重量物は取り扱えないとわかるように書いたと説明した。

そこで、労働基準監督署からの依頼書を見せてもらうと、

・事務所内及び階段の歩行での移動は可能か
・荷物の台車での運搬や軽量物の手持ちでの運搬は可能か
・倉庫整理及び書類の編綴などの軽作業は可能か
・近隣への短時間の出張業務は可能か
・公共交通機関での通勤は可能か、また交通手段による制約はあるか
・車の運転は可能か

といった質問が書かれていた。

主治医は、移動などは可能と答えながら、台車での運搬などには、「筋力が低下しているため、可能だが疲労が強い」「挙上は困難」などと答え、倉庫整理にも「重量物がなければ可」と書いていた。

確かに、このような質問事項であれば、「可能」と回答してしまうのも理解できる。

そして、その回答を根拠に、労働基準監督署は「軽作業可」と判断したのである。

主治医には、職場の実態としてこれら質問事項にあるような軽作業が職場にはないこと、10月11月の時点では、1人で服の脱ぎ着ができずに、夫に手伝ってもらっていたことなどを説明した。

そして、2月に髙村さんの上腕骨の固定を外す抜釘術の予定を組んで、主治医との面談を終えた。

また窓口で、労働基準監督署の意見書依頼と回答の書類の開示請求を行った。本来、開示までの手続きに1か月はかかるところを、病院側は事情を酌んで、早急に開示する便宜を図ってくれた。

年が明けた1月、髙村さんの現状を文章にまとめて提出しようと、事務所で面談したところ、髙村さんは業務で右肩の疼痛が悪化して、休業していることがわかった。

比較的軽作業と考えていた浴室清掃や配膳の仕事も、かなり負荷となっていたことに加えて、自立が可能な入居者の車椅子への移乗も日に4、5回なんとか手伝っていたところ、人手不足のためさらに手伝う必要が出てきて、日に10人くらいの移乗を行うようになっていたという。ある日、痛みで気分が悪くなり早退し、その後は出勤できていなかった。

職場復帰して1か月ほどで、疼痛が増し、そのために肩関節の可動域も90度以下まで落ちた。明らかに就労することで、悪化していた。

被災者の実態に即した判断を

髙村さんは、2月に抜釘術を受け、その際にサイレントマニュピュレーションという麻酔が効いた状態で、上腕を動かしてじん帯などの癒着を剥離し、拘縮などを取り除く処置も行われた。その後のリハビリテーションもしっかり受けて、3月に退院した。

3月半ばを過ぎても、まだ結論が出ておらず、追加で髙村さんの夫による申立書に髙村さんの自宅での生活状況、どのような介助が必要だったかなどをまとめて、2月分の休業給付請求書といっしょに、労働基準監督署へ持参した。

前回の訪問後、京都上労働基準監督署は11月分の調査を進めていた。再度、主治医に意見書依頼を行い、診療録を請求していた。それをもって、労働局の局医(地方労災医員)に意見を求めているところだった。

そこで、いくつか点について議論することになった。

まず、本人の聴取はしないのか、ということ。こちらから申立書として提出したが、労働基準監督署としては本人から直接、詳細を聞いていないし、質問もしていない。休業給付を終了するというような請求人にとって重大な判断をするにあたって、本人の聴取をしないというのは考えられない。

担当者は、今進行している調査の結果、本人の聴取をするまでもないと判断すれば、しません、こちらで判断します、と相変わらず頑なな態度だった。

もうひとつは、主治医との面談についてだった。担当者が言うには、11月の請求書を受け取ってすぐに病院に対して、主治医との面談を申し入れたが、断られた。ところが、髙村さんが主治医に聞いたところによると、面談の申し入れに対して、昼間は診察などで時間が取れないので夜の時間帯でいいなら応じると返答したあと、連絡がなかったという。

担当者は時間外でも病院に出向くつもりで準備していたのに、病院から断られたため実現せず、意見書依頼と診療録開示を行ったという。
実は、両者面談を拒否していなかったことが分かり、これについては、こちらで病院に確認し、主治医との面談を実現できるように動くことにした。

主治医の意見依頼書の内容についても議論になった。

労働基準監督署は主治医が「軽作業可」と書けば支給はできない、と言うので、意見依頼書の質問項目に問題があることを指摘した。自力で出勤できて軽易な作業ができるか判断するためにあのような質問となったことはわかるが、結局は髙村さんのような軽作業がほとんどできない状態の方を「軽作業可」と判断することになっている。

あれらの質問では、軽作業と考えられる作業が到底具体的ではない。例えば、倉庫作業については取り扱う物の重さや形状、取扱時間、作業姿勢などの情報がなく、条件によってはできない可能性もあり、きちんと考えれば、安易に「可能」とは答えることができない。労働基準監督署によると、髙村さんの場合に限った質問項目ではなく、京都の労働基準監督署では基本同じような質問項目を使っているという。これもかなり問題がある。

この質問事項については、今後、労働局と話し合いが必要である。

労災保険は被災者の救済制度であり、労働基準監督署は被災者がきちんと療養を受け、働けない間、経済的に困窮することなく、回復すればスムーズに職場復帰するということを実現しなければならない。

きちんと職場復帰するまでを考えるのならば、被災者の業務や職場を把握し、どのような軽作業があるか具体的に調査し、そのうえで被災者が行うことができるかという判断を行うべきである。漠然とした「軽作業」を基準にするのは間違っている。

今回の京都上労働基準監督署の判断は、労災保険の制度のマニュアルに漫然と従っただけで、被災者の傷病の回復や経済的な補償についての権利を切り捨ててしまっていた。

やっとの支給決定

その後、病院が主治医との面談を調整しなかった原因はわからなかったが、主治医と日時を調整して面談を行えるようにすると病院から返答をもらった。ただ、主治医が手術などで多忙で、しばらく先になりそうだった。

そうして4月初旬、労働基準監督署から11月の休業補償を支給するとの連絡があった。10月分についても残りの日数の休業補償を追給するということだった。

理由については、局医からの意見が出て、それを基に支給するとの判断をしたという。10月分の最初の決定から3カ月半、ようやく決着がついた。

髙村さんは、休業してリハビリテーションを継続している。気がかりなことがやっと解決したので、きちんと療養し、回復に励んでほしい。
今回は髙村さんがあきらめずに相談先を探して、労働基準監督署と話したので判断が翻ったが、同じように療養を打ち切られても働けないという状況になっても泣き寝入りしてしまった被災者がいるかもしれない。

今後の課題である。

関西労災職業病2024年5月554号