ファン・ユミさん追悼文化祭に参加 /故郷の束草でも追悼行事-サムソン電子労災事件の大切な記憶

12年目の追悼

サムソン電子半導体工場の労働者であったファン・ユミさんが亡くなって12年が過ぎた。

命日である3月6日は毎年追悼式を行っている。 これまではサムソン電子本社前で行ってきたが、 今年はソウル市内で会場を借りて行う事になった。
わが国においてもこの事件を題材にした韓国映画「もうひとつの約束」 の上映会を何度も開催し、 多くの賛同者から支援も得てきた。 映画のとおり、 ユミさんの事件は労災として認められたが、 原因究明や予防対策などの根本的な解決に向けての話し合いにサムソン電子は協力せず、 独自に被災者への補償を決めて、被災者や遺族をお金で黙らせるという方針を示した。 これに抗議するべく、 ユミさんの父親であるファン・サンギさんらパノリムによってサムソン電子本社前で約3年に及ぶ籠城が行われたが、 ようやくサムソン電子も 「サムソン電子半導体など事業場での白血病などの疾患発病に関連する問題解決のための調停委員会」の仲裁を受け入れることに同意した。今回の追悼式は、 ユミさんをはじめとする被災者の冥福を祈り、 これ以上被災者を出さないようにすること、 サムソン電子のよう に労災被災者が大量に発生する事業所に刑事罰を処すための運動を展開することを誓う第一歩となる。

文化祭とタイトルを打って毎年開催されているというが、今年は映像、音楽、詩の朗読といったプログラムが静かに進んでいった。 参加者全員による黙祷ののち、 これまでに倒れていった労働者が元気だった頃の写真を、 「もうひとつの約束」のメインテーマ曲「Bye My Dear」をバックに流していく。美しく、 また幸せそうな 写真から、何事もなければ被災者が送ることのできたはずの人生が容易に想像できるが、いずれも20代から30代でその生の幕を閉じている。一家の働き手だったのか、あるいは自慢の息子や娘だったのか、 ファン・サンギさんと同じ経験をした家族の記録は、 1枚の写真でも映画と同じように伝わってくる。

音楽は、「もうひとつの約束」で、白血病で亡くなるユンミを演じたパク・ヒジョンさんが劇中で自ら歌った「回想」を披露し、音楽担当のヨン・リモクさんが「Bye My Dear」を英語と韓国語で歌うという豪華な内容で、最後はパノリムの音頭で「一緒に行こう、この道を」を参加者全員で歌って終了した。 若いパノリムのメンバーがこれからも闘い続けるという決意を示し、 歌でみんなを誘ったことで、 これからの支援もさらに拡がっていくことにちがいない。この日のファン・サンギさんの言葉の中に、 「毎年、追悼文化祭をサムソン電子本社前でやってきたが、 いつも寒い日だった。 今日は皆さんを暖かい室内にお迎えできてよかった」というものがあったが、 暖かかったのは単に屋内で開催したからというだけではな
かっただろう。

あいさつをするファン・ユミさんの父サンギさん(右)と母のパク・サンクオさん

忘れてはならないのは、 会場の外に展示されたハン・ヘギョンさんの描いた絵である。 サムソン電子LCD工場で就労し脳腫瘍を発症した彼女は、言語機能や歩行に障害を残し、現在も車椅子が必要である。被者であるが、 これからは労働者を癒やす手の持ち主でありたいとリハビリに励む。彼女の描いた花や手の絵は必ず日本の集会にも持ってきてもらおう。

自作のマグカップを持つハン・ヘギョンさん

ファン・ユミさん墓参

追悼文化祭に先立つ3月2日、 ユミさんの故郷である束草(ソクチョ)で彼女の墓参りをした。パノリムのメンバーを中心に、 ソウルから40名もの参加者が3時間ほどかけて束草に向かう。

映画「もうひとつの約束」で、劇中の印象的な場面のひとつである、 父親による散骨のシーンは事実に基づくもので、 ユミさんの墓碑はない。

参列する(右から)キム・ミスクさん(キム・ヨンギュンさん母)、キム・シニョさん(ハン・ヘギョンさん母)ファン・サンギさん、とパク・サンオクさん

まずはその場所に祭壇を設け、供物を供えて故人の冥福を祈った。季節柄、蔚山岩をはっきりと拝むことはできないかと思ったが、 この日は雲も少なく振り向けばすぐ側に蔚山岩がせまっている。しかし、今日はもっとよく見える、手を伸ばせば蔚山岩まで届くと言われる山を登ることになっており、 再びバスにのって麓の寺院まで向かう。

山道は雪が残り、 ぬかるんで歩きにくいところもあったが、 道のりは険しいものではなく、 1時間半ほどで山頂に到着した。開けた山頂から臨む蔚山岩は映画のどのシーンとも異なる姿を示す。
映画の中では、 蔚山岩について主人公が説明するシーンが2回ある。 神が国中から岩を集めて朝鮮半島北部の名山である金剛山を造ろうとした。南端に近い蔚山からも岩がえっちらほっちらやって来たが、 途中にある雪岳山で休憩し、そのまま座り込んだ、という逸話である。今回、ファン・サンギさんから直接この話を聞くことはなかったが、ご自身のタクシーに乗って来て下さったので、映画の冒頭で乗客に蔚山岩の由来を話すシーンを思い出した。

束草はソウルから鉄道で行ける地にはなく、 山間部を縫うように走る高速道路をバスで数時間かけて向かう。 ソウルで籠城していた頃も、ファン・サンギさんは何度もこの距離を往復し、それ以前はイ・ジョンラン労務士も労災の相談のために毎週のように束草のファン・サンギさんの下にバスで通ったものだと言っていた。 絶壁のようにそびえ立つ蔚山岩が越えられない壁のように威圧してくるかのように見えた日もあったに違いないが、 これからはユミさんが祀られる山として常にパノリムの側で見守っていく山となってくれるだろう。

蔚山岩

関西労災職業病2019年4月498号