クラブマネージャーの飲食店舗(サパークラブ)内吹付アスベストによる中皮腫、労災認定●大阪

2020年9月関西労働者安全センターに一本の電話が掛かってきた。石綿健康被害に関する相談で、胸膜悪性中皮腫の疑いがあるというものであった。詳しい詳細を伺うため、同年10月6日火曜日事務局の私たちふたりは、兵庫県内の相談者自宅で話を伺うことになった。相談者の自宅で待っていたのは、相談者K氏本人、妻、長男夫婦の4人だった。

まず病状について伺う。2020年8月突然に息苦しくなり近隣のM内科を受診したところ、レントゲン所見で、肺が白く曇っている、大きな病院で見てもらってくれと、B病院を紹介され受診した。同年8月21日から9月2日まで入院し、胸水を抜くなどの処置を受けたが、病名が分からず、市立I病院を紹介され転院した。入院しながら詳しく検査を行い、胸膜悪性中皮腫の疑いがあると診断された。その後、専門病院である兵庫県のH医科大学付属病院を紹介され、9月16日にH医科大学付属病を初診、検査のため10月20日から入院することが決まっていた。

アスベストばく露について、私はK氏がどこで、どの様にアスベストにばく露したのか疑問に思っていたが、その答えはすぐに返ってきた。

K氏はもともと飲食業に従事していて、1970年頃、知人が飲食業(サパークラブ)を開業するので手伝ってほしいとマネージャー待遇で雇用された。午前9時から喫茶の部、午後6時から翌朝3時までクラブにて勤務するという就労実態であった。このクラブに1985年まで就労したがオーナーがクラブを閉店することなり、雇用は終了した。しかし、同店舗を賃貸し、焼き肉店として経営することになり、内装を改装して営業を始めた。ところが、2012年になってビルオーナーが更地にした上で土地を売却することとなった。その際、解体業者が見積もる段階でビル内に多量の吹きつけアスベストが使用されていることが判明し、それを覚えていたK氏はアスベストばく露との因果関係を疑い今回の相談につながったものであった。

そもそも、どのような場所にアスベストが使用されていたのか、偶然にも当時の店内の写真をパネル化したものがあり、見せてもらうと壁・天井一面にアスベストが吹き付けてあった。アスベストの吹きつけ量は見積もり業者によると200㎡に及んでいた。それらの話を聞き取った後、労災申請する準備として、すでに廃業したサパークラブについて、当時の同僚等に様子を聞き取れる人がいないか探すよう依頼をして面談を終了した。

K氏は同年10月H医科大学付属病院に入院、PET検査、生検等を行い、悪性胸膜中皮腫と確定診断され、抗がん剤での治療及び胸膜剥皮手術を行うことになった。

10月下旬、同僚との連絡が取れ、聞き取り可能とのことで私は、大阪府下に居住する元同僚から当時の話を聞くことになった。

元同僚からの聞き取りでは、当時のK氏は人事から厨房及び店舗を運営する上での業務すべてをこなし、日々の就労時間は18時間以上を超え、睡眠時間は毎日4時間程度しか無く、休日も皆無に等しかったと述べていた。アスベストばく露については、同僚は全くわからず、埃ぽい店で通路の隅には、綿ぼこりの様なものがあったと記憶しているとの報告があった。また、給与等は月給制で払われていた(労働者性を示もの)との報告を受けた。それらの状況を書面にまとめる一方で、病院側に療養補償給付や休業補償給付の依頼のため、まずB病院に依頼に行った。病院の窓口で説明を行って一端帰宅したが、後日、B病院から労災申請に対する協力を拒否された。

改めて病院に依頼に行くも医院長は面会拒否、医事課窓口は趣旨は十分理解してくれているものの、医院長が完全に拒絶した。困り果て、今回の申請先である労働基準監督署の担当官に相談し、担当官からも病院を説得するものの、病院側が聞き入れず、請求行為が遅れたら、全ての手続きが遅れるので、一端B病院は結果が出てから後回しとし、市立I病院及びH医科大学付属病院の申請を行うことで担当官の了解を取り付け、同年11月16日に労働基準監督署へ労災申請した。

その帰り道、クラブのあった場所は現在どのようになっているのか立ち寄ってみると、新しいビルが建築中であった。

申請以降、随時K氏宅を訪れ、治療の具合を聞いたり新たな同僚をさがしてもらっていた。また、手術後は定期的に検査を行っていたが、PET検査で再発が発覚し、免疫療法のオブジーボの投与が2021年11月から始まり、2回目以降その副作用として脳症を発症したため、免疫療法は一端中止し、脳症の治療に専念した。幻聴、幻覚、統合失調症のような症状を発症して、11月24日にはH医科大学付属病院の系列病院(精神科を中心とする病院)に転医し、日常会話も困難な状況となってしまった。同時に新型コロナウイルスの影響のため面会ができない状況も続いた。行政の判断が遅いため、アスベスト事案を担当する大阪労働局の高度労災補償調査センターに現状の確認をしたところ、本年8月本省稟議に上げたとの報告を受け、早急に判断するよう促した。

年が変わった2022年同僚証言を大阪労働局に何件か送り、再度早期の決定を促し、判断を待っていたところ、2月25日、K氏の妻から電話で、K氏の様態が悪化したので、H医科大学付属病院に転移するとの連絡が入った。その2日後にK氏が亡くなったという訃報を聞き、結果も知らされないまま亡くなることになり、複雑かつ残念な気持ちで大阪労働局に電話を入れると、年度内(2022年3月末まで)に結論が出るとの報告を聞いて、決定の知らせを待った。

4月13日、大阪労働局からの連絡が遅いため、問合せてみると、担当官から労災と決定したとの口頭報告を受け、直ちにK氏の長男夫婦へ知らせた。この段階で、K氏の妻はあまりに急な主人の逝去に精神的落ち込みが激しく、長女の家で過ごしていることがわかった。

K氏が亡くなったことにより葬祭料及び遺族年金の申請を行った。また、B病院での療養補償給付と休業補償給付並びに、本年1月から2月27日までの休業補償給付申請を行えば全ての手続きが終了となる。

労災申請から1年4ケ月、あまりにも長い月日、時間が経過した。何が問題だったのか私なりに整理すると、クラブのオーナーやその関係者が全て親戚縁者だったことや雇用形態による労働者性、ビル内のアスベストの飛散状況の認定、様々な問題が考えられるが大阪労働局は中身を明かすことは当事者にもしないであろう。これだけアスベストが社会的問題となっている中、労災保険は労働者救済する制度である。そうならば、早急な認定が期待されるところである。(事務局 林繁行)

関西労災職業病2022年9月536号