胸膜中皮腫の電気工Tさん/労災認定も日額に問題で交渉中<岸和田・堺>

1964年生まれのTさんは昨年1月胸膜中皮腫を発症した。
1984年から電気工事の仕事に就き、 発症まで働いてきた。多くの会社、現場での電気工事におけるアスベストばく露が原因であることが明かな建設関連労働者だ。
Tさんからの相談のきっかけは、Tさんの奥さんが、中皮腫サポートキャラバン隊の右田孝雄さんのブログをみつけて右田さんに連絡したことだった。
昨年5月中旬、入院先の岡山労災病院を訪ね概略をお聞きして、 労災請求の準備にかかった。
多くの建設労働者の例に漏れず、 病気になると途端に収入の道が閉ざされる。学齢期のお子さんがいて経済的懸念をかかえているのは、 働き盛りのこの年代に共通している。
岡山労災病院からは、 あなたは労災になるからという説明をすでに受けていて、 医療費の不安は少なかった。
抗がん剤治療の合間、大阪の自宅に帰る機会に、 Tさんと一緒に発症直前の1 年余所属していた大阪府堺市のS 電気商会に社長を訪ねた。労災請求用紙への証明を依頼し、 ほどなく事業主証明もあがり、 所轄の堺労基署に労災請求したのが7月だった。
12月に労災認定されたが、 最終事業場がS電気商会ではなく、 N電気工事店という泉佐野市にあった会社を所轄する岸和田労基署による認定となったと知らされた。
N電気工事店には、2001年まで勤務しており、「ここが最終のアスベストばく露職場と判断した」 ということが、 労基署の労災支給決定内容に含まれていた。
休業補償、療養補償の支給決定自体に問題はなかったが、 休業補償給付のときの給付基礎日額(平均賃金)が「想定していたよりも著しく低い」ということで、岸和田労基署に理由を尋ねに行くことになった。
平均賃金が低額になった理由は、 N電気工事店を離職した時、 Tさんの年齢が発症時の53歳よりも低い36歳であったことと、 N電気工事店を離職する直前の3ヶ月間の賃金記録がなかったということにあった。
こうしたケースでは、厚生労働省の賃金統計をもとに算出する。
簡単にいうと、 まず発症時(2014年1月)における、同じ職種の離職時年齢(36 歳)の全国平均賃金を求め、これに全国と大阪の地域格差係数を乗じて算出する。
平均賃金は1日あたり1万円を少し超えてはいたが、 発症前のS電気商会での日当には到底及ばない額にしかなっていなかった。
この算出方法も問題があるのだが、まず問題なのは、どうして、 N電気工事店を離職して、 最後のS電気商会までの複数の会社、 現場において「アスベストばく露が確認できない」「なかった」と判断したのか、ということだ。
電気工事労働者の現場におけるアスベストばく露は、 建設現場における大工等の他職種の作業から発生する間接的なばく露は当然として、自身の工事過程においては、ホールソー、 ドリルを使用してのボードや壁面の切断、穿孔作業、天井裏における配線作業と鉄骨に吹き付けられた石綿があった場合の斫り、 穿孔等を行うので、多くの現場でアスベストばく露は避けられない。近年の新築現場であればまだしも、 比較的古い改修工事も行っている。
そのような状況が明かであるにもかかわらず、 最終ばく露が16年も遡らなければならないというのは考えられない。
岸和田労基署での話合いでは、請求を受け付けた堺労基署において最終事業場の判断をしていて、 こちらにまわってきたということであったので、 堺労基署の調査内容を口頭で詳細に聞いた。
その結果、 堺労基署においてずさんな調査と判断が行われたことが判明したので、Tさんが詳細な報告書を1月22日に岸和田労基署に提出し、 担当者と労災課長に対して是正を早急に求めたところだ。
労基署の検討をいましばらく待つことにはしているが、 このようなことで審査請求をしなければならないとしたら、文字通り言語道断だ。
『関西労災職業病』2019年2月(496号)