マンガン中毒の労災認定を勝ちとる-植田満俺(マンガン)精錬所(大阪・大東市)

1975年1月13日、守口労働基準監督署(現在は北大阪労働基準監督署に統廃合)で、3年半前「公」害企業植田マンガンで働いていた未組織労働者Hさんの労災が認定された。

この認定は、マンガン「公」害と闘い続けてきた植田マンガン調査団、全大阪合同労組と関西労働者安全センターが共同闘争として勝ち取ったもの。

Hさんが植田マンガンに努めだしたのは昭和26年、退職したのは昭和46年、と20年間もマンガンを吸い続けてきた。その間、健康診断で「じん肺Ⅱ型」「マンガン中毒」の疑い有りと診断されながらも植田資本によってつんぼ桟敷おかれていた。しかも、体の具合が悪くなるや、労働能力減退者を切り捨てんと嫌がらせを続け、退職させたのだった。

マンガンの「公」害問題が社会化したとき、Hさんもマンガン中毒ではないかと心配し、住民運動の人々に相談した。そして、当センターが調査、労災の手続きを行い、労基闘争を続けてきた。しかし、このような未組織労働者がまだまだ多くいると闘いに参加した人々は語っている。

関西労災職業病1975年2月10号