中皮腫の大工Nさん/労災知らず死後5年超え/時効救済で認定<大阪>
大工の男性Nさんは2012年8月に中皮腫で亡くなられた。
同年3月に肺炎らしい症状で病院にかかるようになり、4月に国立刀根山病院に入院し、抗がん剤治療を受けたものの帰らぬ人となった。
大工になったのは和歌山県の中学を卒業後すぐの1956年。1962年に大阪府豊中市のS工務店に入り、十数年働いた後、「独立」して病気になるまで働いた。大工一筋50年以上だ。
Nさんは生前に、石綿健康被害救済法の救済給付を、環境再生保全機構に申請して認定を受けた。
遺族となった奥さんにとっては、あれよあれよというたいへんな数ヶ月だったが、そのことはもはや終わったことになっていた。
ところが。
地域の集まりで夫をアスベストの病気の中皮腫で亡くしたというAさんから声をかけられた。同じ病気?アスベストで?労災認定は?と聞かれ、え?え?と過去に引き戻されることになった。
ほどなく5月下旬、中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会関西支部の会合にAさんがNさんを伴って相談に来られた。
S工務店は木造民家を中心とする典型的な地元の大工で、今は廃業しているが、親方のSさんは存命しているといい、当時、Nさんといっしょに働いていたOさんが高知で元気にされているともいうことだった。
S工務店では木造民家の建築のほかにも、大阪空港の防音工事を多く手がけていたということであり、それらの仕事の具体的内容の調査が比較的容易とみられた。
「大工さんというのはアスベストにばく露する仕事というのが一般的な考えなので、救済給付ではなくて、労災認定される可能性が高い。ただ、Nさんの死亡からすでに5年以上がたっているので通常の労災請求の権利はなくなってしまった(労災の遺族年金がもらえなくなってしまった)。
ただし、石綿疾患による死亡の場合は特別に、石綿救済法で時効救済がある。」
「これを申請されてはどうか」とNさんに説明したところ、申請してみることになった。
Nさんはさっそく淀川労基署に「特別遺族年金」を申請した。(同年金は、請求月の翌月からしか支給されないので、気がついたらすぐに申請することが大事)
申請後、当たり前の成り行きとして、木造民家の建築工事においても石綿含有建材は各所に使用されていたこと、防音工事においては石膏ボードが使用されていたことなどが聞き取り調査などで明らかになった。事務局でも高知市在住の元同僚Oさんに聞き取りを行った。
8月中旬に認定の知らせが届いた。
建設労働者である大工であれば、はじめから労災認定されるのが当然のように思える。
しかし、そうではないケースが「ごく普通に」存在しているのだ。
改めて、制度運用の問題や被害者側の取り組み不足を痛感させらることになった。
時効救済制度の請求期限(2016年3月27日までとされている)は撤廃されなければならないし、労災の救済給付(労災より水準が極めて低い)への紛れ込みは解消されなければならない。
しかし、そうした小手先の改正を求めるだけではだめであって、そもそも、救済給付自体が給付水準が極めて低く、遺族給付もないといった点の抜本的改善を求めていくことを重視して運動をすることにもっと目をむけることが大切だろう。
『関西労災職業病』2018年9月(492号)