支援団体パノリム ハン・ヘギョンさん労災認定について声明/ハン・ヘギョンさんとオモニのコメント公表<2019/6/5>

「今は被害者の声を聴く準備ができている」という意味が込められたハン・ヘギョンさんの産災認定の判定を心より歓迎します。

半導体労働者の健康と人権守り(パノリム)
受 信:諸報道機関
題 目:サムソン電子LCD脳腫瘍被害者ハン・ヘギョン、10年めに産業災害認定
発信日:2019年6月5日(水)

1、正論直筆のために努力されるメディア関係者のみなさまに感謝します。
2、サムソンLCD脳腫瘍被害者ハン・ヘギョンさんが2019年5月30日、勤労福祉公団から産業災害認定の通知を受け取りました。ハン・ヘギョンさんは2009年の申請から大法院まで闘って敗訴しましたが、昨年、再申請しました。その結果10年目に遂に産災と認められました。このお知らせに関して、パノリムの立場などの資料を添付します。
3、パノリムでは10年目に達成したハン・ヘギョンさんの認定を記念して、お祝いの音楽会を行う計画です。

<ハン・ヘギョン産災認定祝い音楽会:あなたには花の香りがしますね>
日時:6月14日(金)午後6時
場所:チョンドンのフランシスコ会館1階
以上

サムソン電子LCD脳腫瘍被害者ハン・ヘギョン
10年目に産災認定

パノリムの立場
「今は被害者の声を聴く準備ができている」という意味が込められた
ハン・ヘギョンさんの産災認定の判定を心より歓迎します。

ハン・ヘギョンさんはお母さんのキム・シニョさんと一緒に、どの誰よりも長い期間を、情熱的に電子産業の職業病問題を提起してこられた方です。ハン・ヘギョンさんの初めての産災申請は2009年3月で、今は2019年5月です。闘ってきた期間だけでも10年を超えます。脳腫瘍の診断を受けた2005年10月からすると14年目のことです。その長い時間、ハン・ヘギョンさんは肉体的、経済的、精神的な苦痛だけでなく、繰り返される産災不承認、サムソンの責任回避など、多くの困難にぶつかりながら、電子産業の職業病問題を一途に提起してきました。その結果2019年5月30日、遂に本人の脳腫瘍に対して公式に職業病(産業災害)と認められることになりました。
ハン・ヘギョンさんはサムソン電子LCD事業部(現サムソンディスプレイ株式会社)のモジュール課で生産職オペレーターとして働いた5年9ヶ月(1995年11月~2001年7月)間、PCB基板に電子部品をハンダ付けするSMT工程で、鉛と錫、有機溶剤などに曝露しました。在職中に生理が止まるなど、次第に体調が悪くなるのを感じて退社しましたが、引き続き体調が悪くなり、退社から4年後に脳腫瘍と診断されました。小脳部に発生した脳腫瘍を手術で除去しましたが、その後遺症で視覚、歩行、言語障がい1級の判定を受けました。その後、ハン・ヘギョンさんは2008年秋頃にパノリムに最初に脳腫瘍被害の情報を提供し、準備を経て2009年3月に初めて脳腫瘍に対する産災申請を提起しました。

最初の申請判定の問題点

ハン・ヘギョンさんは2009年、最初の申請不承認以後、公団の審査、労働部の再審査、裁判所での一~三審、そしてその後、再び公団に再申請による最初の審議過程(可否同数で保留の決定)まで、全部で7回の産災判定の場で認められず、2019年4月29日にソウル業務上疾病判定委員会の再審議によって認められました。8回目に認められたのです。
6回の不承認判定は、脳腫瘍の発病原因に対する『医学的研究』が不足であるという点を不承認の根拠としました。しかし研究が足りないのは被害者のせいではなく、現在の医学的知識水準の限界です。だから、2017年に大法院は医学的研究不足を理由に職業病ではないと断定してはいけないとしました。
また、6回目の不承認判定は、有害物質の危険性が十分に明らかになっていないという点を不承認の根拠としました。そして電子産業の多くの有害要因のうち、比較的その危険性が良く知られた鉛だけが検討され、錫や有機溶剤、電磁波、交代勤務などの有害要因についてはまともに考慮することもしませんでした。しかしこの10余年の間に電子産業の労働者の職業病被害問題が続いて明らかになり、過去に見過ごされた有害物質の危険性が少しずつ明らかになりました。今では安全保健公団がホームページの資料で、ハンダ付けの過程での錫が主要な有害要因であることを明示しています。
ハン・ヘギョンさんが経験した最初の申請の過程の問題を一言で要約すれば、こういうことです。当時の私たちの社会は、未だハン・ヘギョンさんの話を、電子産業の職業病被害者の話を、聴く準備ができていなかったということです。

今回の産災認定の意味

全く聴く準備ができていない人に話をするのはかなり難しく困難なことです。しかし、ハン・ヘギョンさんは挫折せずに、粘り強く自身の話を世の中に知らせてきました。 ハン・ヘギョンさんが以前にはなかった道を造られたので、その道に従って他の脳腫瘍被害者の方々も自身の話を話せました。そして一つ二つと脳腫瘍の産災認定事例も作られました。
ハン・ヘギョンさんの認定以前に、7人の脳腫瘍被害者の方たちが産災を認められました。 そして今回はヘギョンさんの話も受け容れられるのではないかと思いました。最初の申請の時は大法院まで行って負けましたが、再申請によって正せるかを確認しました。幸いなことに、民主労総の法律院での法的な検討の結果、再申請が可能だと言われました。大法院の判決も、行政機関が自ら自身の誤りを認めて、正しく直すことまでを止めてはいないからです。このような法的な検討を経て、ハン・ヘギョンさんは2018年10月16日に、産災を再申請しました。
そして遂に2019年4月29日、ソウル業務上疾病判定委員会の審議会議で、ハン・ヘギョンさんも産災と認定されました。ソウル業務上疾病判定委員会は判定書で、「▲申請人(ハン・ヘギョン)は約6年間、サムソンディスプレイ㈱でLCDモジュールと生産職オペレーターとして働き、作業工程の中で、鉛、錫、ハンダ合金、イソプロパノールアルコールなどの有害要因に曝露した、▲ 2002年度以前の事業場に対する調査が充分でなかった点、▲申請人が業務を始めた時期が満17才で、比較的幼い年齢に有害要因に曝露したという点、▲申請人が業務を遂行した1990年代の事業場の安全管理基準および安全に対する認識が現在よりも後れ、保護装具の未着用と安全措置が不十分なものと判断される点、▲最近の脳腫瘍の判例と、判定委員会で承認された類似の疾病の事例を考慮する時、業務関連性を排除できず、申請傷病と業務との相当因果関係が認められるということが、審議会議に参加した委員の多数意見であるから、申請人が療養給付を申請した傷病『脳腫瘍(成人細胞腫)』は産業災害補償保険法第37条第1項第2号による業務上疾病と認定される。」と認定しました。
今回の産災認定は大きな意味のある決定です。勤労福祉公団は、たとえ最初の申請当時の訴訟で勝っても、当時の不認定決定の不当さを自ら認め、自身の立場を変えたからです。
疾病判定委員会が過去の誤った判断を認めて、今は違う姿を見せると言っているからです。
パノリムは今回のハン・ヘギョンさんの産災認定が、『今は聴く準備ができた』という意味として残ることを望みます。いま、私たちの社会がハン・ヘギョンさんの話を、電子産業の職業病被害者の話を、聴く準備ができたということです。もう一つ言えば『非常に遅くなって申し訳ない』という意味でも残ることを希望します。電子産業の職業病問題を直視するのに10年もかかって申し訳ないということです。産災保険の趣旨が、社会的扶助である以上、これからはそんなに苦しく、そんなに長く待たせてはいけないということです。

残された課題

ハン・ヘギョンさんが10年間、粘り強く提起してきた主張があります。本人のように、もうこれ以上は仕事をして病気に罹って苦しむ人が出てははいけないということ、事業場の危険に対しては、企業が隠すことができなくさせなければならず、労働者はその危険性について十分な教育を受けなければならないということ等等。この10年の間、多くの変化を作り出しましたが、未だ労働者の知る権利と健康に働く権利のためには、進まなければならない道が多く残っています。パノリムはハン・ヘギョンさんが提起した問題が解決されるその日まで、引き続き進んで行きます。

ハン・ヘギョンさんとキム・シニョ・オモニの感想

ハン・ヘギョンさん

産業災害認定の知らせを聞いてとてもうれしかったです。
でも、私の考えでは、当然に、私は初めから産業災害が認められなければならなかったと思います。
そして、このように長い歳月がかかったことをあんまりだと思います。
以前は、中に何か石の塊りがあるようでした。
今は産業災害が認められて、少しは気がせいせいしました。
これからは職場で、現場で、働いて怪我をしたり、病気なったりすれば
機関は速かに処理し、私のような人が出てこなければ良いです。

キム・シニョ・オモニ

私たちのヘギョンが産業災害認定されるまでに非常に長い歳月がかかりました。
お医者さんからヘギョンは脳腫瘍だという話を聞いたのが2005年ですね。
この間の時間を考えれば、あまりにも口惜しいです。
再申請を行いながらでも、これが果たして上手くいくのかと思っていました。
しかし、このように遅くなったけれども、ヘギョンの産業災害が認められて、とてもうれしいです。
勤労福祉公団は、これからは私たちのように永い間の不当さを経験させないように
判定を正しく出してくれれば良いです。

ハン・ヘギョンさんの最終陳述書

ハン・ヘギョンさんが2019年4月29日.にソウル疾病判定委員会の会議で述べて、提出した内容です。ハン・ヘギョンさんが直接スケッチブックに書いた内容を映した写真は別途ファイルに添付します。

私が働いていた工程が2001年になくなり、私がその当時、どんなに多く曝露したのか確認することができません。しかし、とんでもないところを調査して、曝露が少なかったと結論を出すのは不当です。
実際にラインからは臭いがたくさん出ます。生臭い鉛の臭いとリフローの中からの臭いがしました。
まだ熱い基板に鼻を近付けて肉眼で検査をすれば、臭いは一層激しかったです。
IPA、アセトン、フラックスに曝露することについては全く評価せずに、そのまま曝露が低かったと言いますが、納得することはできません。
私が仕事をする時は、ビニール手袋もよく破れて、素手で薬品に触れたり、マスクをしても臭いがすべて入ってきました。そのようなものが危険だということは知りませんでした。誰も教えてくれなかったですから。
私が以前に産業災害を認定されなかった理由は、私の病気の原因が未だよく明らかになっていないという理由でした。しかし、今は変わったと知っています。半導体、LCD工程で脳腫瘍の被害者がたくさん出て、また明確に立証できなくても、産業災害保険の趣旨から、脳腫瘍も産災と認められる人がたくさん出ました。私にも公正に判定されれば良いです。
私がきっと産災と認められ、今後は私のような人が出てこないようになれば良いですね。
2019年4月29日 ハン・ヘギョン

(訳 中村猛)

<ハンギョレ 日本語版>
サムスンLCD元労働者で脳腫瘍にかかったハン・ヘギョン氏、ついに労災認定
登録:2019-06-06 09:47 修正:2019-06-06 19:12
ソウル疾病判定委、先月末「業務の関連性は排除できない」と判定 
福祉公団から裁判所まで7回の不承認の後、8回目の挑戦に成功
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/33609.html