死ぬまで元気です 15 右田孝雄

皆さま、 こんにちは。
今日はまず悲しいお知らせを致します。 私の相棒のくりちゃんこと栗田英司さんが19 年6ヶ月の間、 腹膜中皮腫と向き合い闘病して参りましたが、去る6月18日逝去いたしました。
くりちゃんとは前日の午後10時22分に電話で話をしたのですが、3分ほど話して「トイレに行きたい」 と言うのでいつもならそれで電話を終えるのですが、 この日は10時33 分にトイレから出てきてまた2分ほど話しました。最後の言葉は「しんどいから切るね」でした。
訃報を聞いたのは午前8時30分くらいでした。 本当は午前7時過ぎにくりちゃんのお姉さんから電話をいただいていたのですが熟睡していたがために回りまわって親父から聞くことに。
聞いた瞬間、眠気眼の目が一気に覚めてお姉さんに電話を掛けて確認したら、 もう涙が止まりませんでした。 つい数時間前に話した相棒がその後容態が悪化して帰らぬ人となったことは私の今までの人生の中で最も悲しい出来事の一つとなりました。
一昨年の6月に出会いすぐに意気投合し、「中皮腫サポートキャラバン隊」として全国を駆け巡り、 苦楽を共にしながら自分たちの夢を一つ一つ叶えてきた相棒が、 突然目の前から消えたショックは彼のお別れ会の前日まで、 ことあるごとに涙は止まらず、喪失感・虚無感と同時に半分信じられない気持ちが交錯して、 殆んど何も考えられませんでした。
実はくりちゃんからは、 数か月前に 「相棒として主賓で弔辞頼むね」と言われていたので、 いつかこの日が来ることは分かってはいました。 しかし、現実にその時が来たらやはり素直に受け止められませんでした。 それでもお別れ会前日には斎場へ行って準備をしました。 くりちゃんの遺志でお葬式は行わず、お別れ会にて送って欲しいという意向を尊重し、ご家族や友人で集まり、これまでのくりちゃんの日常生活やキャラバン隊での写真や記事を並べてお別れ会に備えました。
そして、お別れ会当日、最初に、 くりちゃんが今まで頑張ってきた足跡を映像で流し、その後く りちゃんに最も関わってきた5人の方々が弔辞を読みました。 最初に同じ腹膜中皮腫で闘病してきた原さんが弔辞を涙ながらに読むと、 参列者の方々からもすすり泣く声が聞こえ、 もちろん私もくりちゃんと苦楽を共にした日々を思い出し涙が溢れてきました。 その後も弔辞を読んだ方々の涙声は続き会場は悲しみに暮れました。
最後の弔辞を任された私は声を出せば必ず涙で話せないと思い、 ぐっとくりちゃんの棺に目をやり黙って気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりと相棒との思い出を語りました。後で皆さんからは声が聞き取りにくかったと言われるほど私も憔悴しきっていたんでしょうね。
その後、 献花を皆さんでした時は打って変わって笑顔で言葉を送りました。 そして最後は「中皮腫サポートキャラバン隊」の主題歌「希望の道標」で出棺を見送りました。
栗田さんが亡くなっても、 彼の遺志はキャラバン隊の全員で引き継ぎ、 今後も中皮腫患者さんが「前を向いて明るく元気に」生きていけるように頑張っていきますので、 どうか今後ともご支援いただきますようよろしくお願い致します。
(201907_501)

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