石綿肺がんのブロック工/労災不支給を自庁取り消し/大阪、 岡山で就労

岡山出身の被災者は、 昭和30年に大阪に出てきて、ブロック工として50年以上働いてきた。 昭和30年から50年頃までは大阪市内の建設会社で就労し、 その後郷里に戻って5年ほど勤めた後に自営に転じている。平成26年に肺がんを発症し、手術を経て現在も療養中であるが、 療養補償給付の請求をしたものの不支給という判断が下された。

粉じんばく 露の本人感覚

大阪にいた頃は、 主に大阪市内の2社で就労しており、いずれも現在は存在しない。しかし、 最後に石綿にばく露したのは西成区の建設会社に在籍していたときであると主張したことにより所轄労働基準監督署は大阪南労働基準監督署となった。
被災者本人の主張は非常にわかりやすい。聴取書には、「大阪では、大阪市鶴見区の川野ブロックに勤めました。川野ブロックで一緒に仕事をしていた『田中三郎』が独立して田中組を始めましたので、 田中組にも雇われ、 川野ブロックと田中組の仕事を行ったり来たり、 昭和51 年3月に岡山に戻るまでの20年間、 ブロック積みの仕事をしていました。最後の方は、田中組の仕事ばかりでした」 「川野ブロックや田中組では、地下鉄、万博、ボウリング場等の建設現場の仕事をしました。地下鉄は線路脇のブロックを積んでいました。 ボウリング場では、 仕切りやトイレのブロックを積んでいました。ボウリング場では、私がブロックを積んでいる横で、 足場に乗って天井にアスベス トを吹付けている職人がいました。当時は、アスベストとはわからず、綿みたいなもん吹付けているなぁと思っていました」 などと詳細に当時の現場の状況が述べられている。 一方岡山に戻ってからの作業については「私の仕事内容は、大阪の頃と変わっていませんが、 現場の周りが違い、大阪のときのようにアスベストを使っていることはありませんでした」 とだけ記されている。「現場の周りが違い」ということはどういうことかと尋ねると、大阪時代は同じ場所で様々な作業が同時並行で施行されていたが、 岡山では作業スケジュール通り業者が順番に入場して作業をするため、 ブロック積みをしているとなりで吹付け作業が行われるようなことはなかったらしい。被災者の感覚では、「大阪時代の現場は、 ほこりで目の前が見えなくなるくらい、汚い環境だった」というもので、 岡山に戻ってきてからはそれほどほこりにまみれていない、 というのである。
しかし、 フロアの間仕切りを施工する作業と、 天井への吹付けとどちらが先に行われるだろうか。 先に吹付けが施されている場合は、 ブロック積み作業中に作業に邪魔な吹付けを手でぬぐうことがあっただろうし、 吹付け後の現場にはアスベスト粉じんもまだ舞っているだろう。 逆にブロック積み後に吹付けが施される場合は、 作業の修正や上階にある次の作業現場へ向かう途中に吹付け中の現場を通ることもあるのではないだろうか。 また、吹付けだけではなく、建材の切断や壁、 天井の施工をしている側を通ったり、 近くで作業をしたりすることもあるのではないだろうか。

大阪局による調査内容

不支給にいたるまでの資料を見ると、川野ブロック、 田中組はすでになく、事業主も他界しているが、 監督署は戸籍の附票から親族を辿り、 それぞれの親族に聴取りを行ない、 当時覚えていることの中から被災者に関することをなんとか引き出そうとしている。また、玉出の商店街に店を構えている卵屋の息子で 「かわはら」 という名前の同僚がいた、 という被災者からの情報を元に、大阪市西成区界隈を捜査し、卵屋を突き止め、 電話聴取もしている。 7月末から9月の初めの暑い盛りに自らの足で該当地域を歩き、 精力的に近所へ聞き込みを行ない、 被災者が働いていた痕跡を探索したことがわかる。
この結果、 被災者が提供する事業場の場所、事業主が最後に住んでいた住所、家族関係、同僚の実家等、すべて正確な情報であったが、 それでも聴取先からは被災者に関する情報が一切出てこなかったため、「連絡をとるも、 請求人を知るものはおらず、請求人の就労の事実を明確にするこ とはできなかった」ことにより、「原発性の肺がんの発症及び胸膜プラークの所見が認められるものの、 客観的な石綿曝露作業の従事歴が認められないため、 認定要件を満たさない」 と判断され、 不支給となった。
本件は審査請求まで行っており、 審査官は岡山での就職先関係者に聴取をしている。そして、被災者が「昭和51年頃に入社し、 約4~5年在籍していたのは間違いないと思う。その当時の作業内容は、鉄骨にアスベストかどうか不明であるが、 噴霧作業前か、吹付けられた建設現場で、ブロックの積み上げ作業に従事していた」 との情報を得ている。つまり客観的な石綿ばく露作業に関する情報が入手できたのであるが、審査官は、「監督署職員の調査によっても、 客観的な石綿ばく露作業の従事歴の証言又は資料等が得られなかったものであり、 請求人の申立以外に、 石綿ばく露作業を裏付けるものは認められない」 と結論付け、 請求は棄却された。

吹き付け施行の証拠を提出

相談を受けたのは再審査請求期限が過ぎた後であったため、 取消処分を求めて訴訟を提起せざるを得なかったが、 被災者は休業補償給付を請求していなかったため、 遅ればせながら請求した。 また、 取消訴訟の中で、 被災者が岡山時代に入場した作業現場を具体的に提示し、 そこにアスベストの吹付けが施されていることまで明らかにしたことを休業補償請求でも活用した。 このとき活用した資料は神奈川労災職業病センターの鈴木江郎さんが作成した全国の 「吹付石綿除去工事計画届」一覧である。除去作業が行われる以上、 吹付の施工があった事実を示すことになる。 併せてその現場の施工図まで取り寄せて訴訟では証拠として提出した。
これらの資料は監督署でも入手できるものであり、原処分段階で、被災者がいう 「岡山に戻ってからは石綿ばく露なし」 という申立を字句通り受け止めて調査を怠ったのは意外である。多くの被災者は石綿疾患に罹患した場合、 あるひとつの現場での石綿ばく露が原因ではないかと考える。 それらの現場は、目の前が見えないくらいのほこりが舞い、 腕や首の周りがチクチクする環境であり、 五感で石綿ばく露を認識することができる。 このような派手にほこりにまみれる現場以外は、 被災者の意識から閉め出されてしまうだろう。大阪の監督署であれば、 正確に被災者から現場情報を引き出し、 最終粉じん事業場を見つけてもらいたいものである。
『関西労災職業病』2018年7月(490号)

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